アウシュヴィッツ、ビルケナウ強制収容所見学。

オシフィエンチム

とうとうこれを書く時がやってきたのか・・・!

 

『アウシュヴィッツ強制収容所に行ってきたコト。』

 

 

 

もうね、どう言えばいいのかわからないんですよ。

未だに。

もう二カ月以上もたってるのに、まだ、見てきたものを反芻することしかできません。

あそこはそうい所なのかもしれないが・・・。

 

 

 

 

こちらはクラクフ駅のすぐ裏にあるバスターミナル。

これ、時刻表。

上から2個目の項目、OSWIECIM MUZEUMという項目が目的地です。

 

 

 

日本人ガイドの中谷さんにガイドをお願いした所、10時集合、とお返事をいただいたのでそれに間に合わせるには始発の8:25の便しかなかった。

確か2~3日前という直前にお願いしたにも関わらずスグにお返事をいただけて大変ありがたかったです。

 

 

 

バスターミナルにはロッカーもあったよ。

 

トイレも有料だけれどあります。

あと、美味しくないサンドイッチも買える。

朝ごはんが必要なら他で買ってきた方が良さそうです^^;

 

 

これがオシフィエンチム(収容所のあるところ)まで行くバス。

乗り心地は・・・印象に残ってないから、そう悪くなかったと思いますよ。

 

 

 

 

この日はとてもいい天気。

バスを降りてすぐのところは緑がたくさんあって、なんともなごやか。

道の右側には大型バスがたくさん停まってました。

ナンバープレートを見ると、近隣のいろんな国から来ていたよ。

夜行できて夜行で帰るのかな・・・?

 

 

 

 

入口ではガイドの中谷さんがすでに数名の日本人の方々とお話されていました。

中には世界一周しているお仲間が!!

が、あんまりはしゃぐ場でもないのですんごーーーーくお話ししたかったけど、我慢。

 

確か、全員で11人だったと思います。

ガイド料は・・・忘れちゃった^^;

結構人数が集まったおかげで、ずいぶん安くすんだなぁ・・・と思った覚えがあります。

 

 

入り口でイヤホン付きのトランシーバーみたいな機械を受け取る。

今はこうやってイヤホンからガイドを聞く時代なんだね!!!

 

よく観光地ですれ違う日本人観光ツアーの人々も大体こうやってイヤホン付けてる。

ガイドさんも喉大事に出来るからいいね!

 

 

 

それにしても、後から後から人がやってきます。

すごい人でしょ!!

 

 

では、いよいよ中へ。

ちなみに、混雑防止の為に午後3時まではガイドなしでは入れません。

 

 

 

 

まず中谷さんが連れていって下さったのが、アウシュヴィッツ強制収容所といえばコレ!くらい有名なこの看板のところ。

『ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)』

Bの文字が反転している大変有名な看板です。

これを作らされた収容者が、腹いせに反転させたって話です。

 

2009年に一度、誰かの手によって盗まれ、その後3つに解体された状態で見つかったそうです。

 

 

 

 

そして、初めに入ったのが、色んな展示物のある建物。

ごったがえしてますね。

どうやら順路が決まってるみたい。

廊下も片側歩行です。

 

 

私、ここに来るまでは、ここはユダヤ人が収容・虐殺されたところだと思ってたんですが、

収容されていたのはユダヤ人だけではなく、ドイツ・ナチにとって都合の悪い政治犯、ジプシー(現在はロマ・シンティーというそうです。)、同性愛者、精神・身体障害者等・・・。

 

ただ、やっぱり一番多かったのはユダヤ人。

 

 

近隣諸国からユダヤ人がここ、アウシュヴィッツ強制収容所に連れてこられた。

 

あと、ユダヤ人、と一口に言ってしまいますが、国を持っていなかった彼らは、ドイツで、ポーランドで、オランダで・・・様々な国の中で普通に社会生活を営んでいたユダヤ教を信仰している人々。

 

 

ただ、ここが良く分からないんですが、どうも、昔からユダヤの民は嫌われていたらしい。

キリスト教が禁止していた金貸しなどの商売をすることが出来たため、富に恵まれていたからだろうか?

 

・・・とにかく、彼らは商才があるそうでお金持ちも多かったんだろう。

その財産は元々ドイツ国民のモノだから没収して、ドイツ国民に還元することが必要だ!とナチスは主張していたそうです。

 

 

 

 

どうしてこうなったか・・・・。

 

第一次世界大戦でドイツは敗戦国となり、多額の賠償金を支払っていたそうです。

国自体が落ち込んでいたんですね。

失業者も増えていたそうです。

 

 

 

 

当時、ドイツは医療大国。

音楽も盛んで、野蛮な国家ではなかった。

 

ちゃんと民主主義によって政治は行われていた。

だけど、ナチスが政権をとった後、国会議事堂が放火され、それを機会にいわゆる『非常事態宣言』がなされた。

それによってヒトラーは行政と警察権限を掌握したそうです。

 

 

 

ナチスは最初からユダヤ人を収容所へ集めていたわけではなく、企業経営を禁止したり、学校を別にしたり、住む所を別にしたり、公職から外し、アーリア人(ドイツ人)との結婚・交際も禁止。

だんだんエスカレートしていって、民間レベルでも「ユダヤ人お断り」の看板が掲げられる。

 

 

ユダヤ人企業は安価で買いたたかれ、ドイツ失業者に取って代わられた。

「こんなことはやめよう。」そう言える雰囲気ではなかったんじゃなかろうか、と、ガイドの中谷さんはおっしゃいました。

 

 

 

 

あいまいにしか覚えてないので、間違ってたらスミマセン。

でも、時代背景から説明していただき、大変わかりやすかったです。

ガイドをお願いしなかったら、ただ展示物を眺め、写真を見て、「広いなぁ。」なんてつぶやいて終わってたんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

アウシュヴィッツの建物は、元はポーランド軍の建物だったそうで、しっかりしてます。

収容者によって増築もされていました。

 

 

ベッド。

人数が多くなると一段を複数で使っていたそうです。

 

 

こちらも収容者の部屋なんですが、管理側にまわった人達の部屋だそうです。

同じ境遇にあっても、体制側に使われてチョットいい暮らしをする人達もいたんですね。

 

 

 

こちらも有名な壁。

銃殺の時に使った壁です。

「死の壁」ですね。

 

 

こちらはガス室。

内部はちょっと感覚が掴みにくかったんですが、16畳くらいかな・・・。

天井に穴があいていて、そこからガス缶が放り込まれたそうです。

 

 

 

これは収容所が解放された後、所長が公開処刑された台。

所長は息子に「政府の命令どおりのコトしてたらこのザマだ。おまえは騙されるな。」みたいな言葉を残したそうです。

 

 

 

 

 

ナチスはユダヤの方々に「新天地へ連れていく。」と言って収容所までの列車に乗せたそうです。

日用品や財産の一切を持って乗せて、それらは没収。

人々は健康なら収容して強制労働。

 

 

 

アウシュヴィッツの展示品の中には没収された日用品がたくさんありました。

あと、収容される時に撮影された顔写真も。

女性は髪を切られて坊主頭です。

ほんとに、どうしてここまで・・・・。

 

 

 

 

 

ガイドしてもらってる私達の間に会話は無くなって行きました。

 

 

 

 

 

ぐるりとアウシュヴィッツを案内していただくと、今度は近くにある第二アウシュヴィッツ、ビルケナウ強制収容所まで移動します。

移動は各自バラバラで。

といっても、ほとんどの方がアウシュヴィッツービルケナウのシャトルバスを利用していました。

 

 

 

ビルケナウは、アウシュヴィッツの収容キャパシティが足りなくなったために造られた収容所。

こんな柵一つで人間を閉じ込めることができるなんて、なんか不思議。

もちろん、見張りはいたし、電流も流れていたそうです。

こちら側が見えてるだけに、なんだかせつないです。

 

 

 

 

入口から伸びる線路に、実際に人が乗せられてきた列車が展示されています。

窓もない、小さな列車。

座るスペースもなく人が詰め込まれて、ここへ連れてこられていた。

 

 

 

降りるとスグに医者が顔色で健康状態を判断し、働けないと判断された人々はそのままガス室へ。

「シャワーを浴びる」と嘘を聞かされ、ガス室まで歩かされる。

 

 

 

 

 

ビルケナウの収容棟の中。

寒々しいです。

 

 

ベッド・・・というか、棚ですね。

片隅に小さな小さな暖炉があるだけ。

もちろん寒かったそうです。

アウシュヴィッツと比べると、かなり簡素な建物です。

 

 

 

こちらもビルケナウに残っている収容施設。

 

内部。

少し立派な暖炉がありますが、この建物は厩用の建物だそうです。

早い、安い、の理由で増え続ける収容者を入れる為に突貫工事で建てられたんでしょうね。

 

 

 

こちらはトイレ。

下に溝がある、仕切りもない、タダの穴です。

時間も決められていて、集団で移動してきて、座らされて、排泄させていたそうです。

人権もなにもあったもんじゃない。

 

そうやって、戦意というか、反抗心というか、人間らしい感情を削ぎ取っていったんだろう。

 

 

 

 

ドイツの負けを受けて、逃げる時に証拠隠滅を図り爆破されたガス室。

アウシュヴィッツのモノより大きかったんですね。

 

 

 

列車で運ばれ、ガス室に入れられ、焼却炉で焼かれ・・・。むう。

 

 

 

 

線路の最終地点。花が手向けられています。

 

 

 

 

ビルケナウの案内が終わると、「午後のガイドがあるモノで!」と、足早に中谷さんは去って行きました。

満足にお礼も言えなかったな・・・。

 

 

 

その後、アウシュヴィッツにもっかい戻り、3時を過ぎたので、自分達だけで歩いてみました。

毎時、ビデオの上映があると『歩き方』で見たので、それもチョット鑑賞。

英語だったからちゃんと把握出来なかったが、強制収容所が解放される時に撮影されたモノで、かなり生々しい物でした。

 

 

 

 

どうして同じ人間同志であんなことになったのか。

根本には『同じ人間ではない』という意識があったからに他ならないが・・・。

 

それでも、わかる人はわかっていたはず。

じゃなきゃアンネ・フランク一家がオランダでかくまわれていたはずはないですからね。

 

 

 

中谷さんがお話しして下さった中に、杉原 千畝さんのお話もありました。

当時、リトアニア領事館に駐在してらっしゃった杉原さんは、外務省の訓令に反して欧州各所から逃れてきた方々にビザを発給したそうです。

およそ6000人の方が助かったと聞きました。

 

 

 

深い悲しみに包まれるアウシュヴィッツ強制収容所見学。

でも、僅かですが人の優しさも学べてよかった。

 

 

 

 

こんな感想しか言えないですけど、感じたものは大きかったです。

みなさんも機会があったら是非、訪れてみてください。

そして、中谷さんのガイドを聞いてください。

 

 

長くなってしまいましたね、こんな重いテーマの文章を最後まで読んで下さった方、どうもありがとう。

コメント

  1. はな より:

    はじめまして。いきなりすみません!
    たまたまブログ見つけて私も旅行が好きなので^^
    世界一周旅行とかほんとうらやましいです。
    アウシュビッツに1年前ぐらいに一人で行きましたが、言葉をなくしてpainful,sad。。。なんとも言えない気持ちになりました。
    またブログ遊びにきますね!!
    失礼します。

    • さちこ より:

      はなさん、コメントありがとうございます♪
      ほんとに、あそこは気がめり込みますよねぇ。。
      ひとりで行っただなんて、ガッツがありますね!
      はなさんは他にどんな所に行ったんだろう。機会があったらイロイロ聞いてみたいです^^
      マタよかったらコメントください☆

  2. オオスミ より:

    初めまして!
    前からアウシュビッツ強制収容所にすごく興味があったのでブログとても楽しく読ませていただきました!
    そこで質問なのですが中谷さんにどのようにアポを取ったか教えてください!

    • よしたけ より:

      オオスミさん、こんにちは^^
      読んでいただきありがとうございます。

      中谷さんへのアポですが、私たちは中谷さんの公式サイトに掲載されていたメアドに直接メールしました。
      http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/hito/nakatani.htm

      ただ、いま公式サイトを見てみたら、not foundになって、閉鎖されてしまっているようです。

      なので、いまはどうやってアポを取ればいいのか分かりません・・・。
      お力になれずスイマセンm(_ _)m

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